自己肯定感を高めるぐらいなら基礎体温を高めよう
ここ数年、自己肯定感は高いほうが良い、自己肯定感を高めようという声をよく聞く。
大型書店に行けば、その手の啓発本が特集されており「簡単に自己肯定感を上げる方法」というポップが目に入る。
自己肯定感とは、自分の存在そのものを認める感覚のことだ。他人と比べることなく、自分の短所や弱み、悪いところも含めてありのままの自分をかけがいのない存在として肯定する、好意的に受け止められることで生まれる感覚のようだ。
本当に、自己肯定感は高めたほうが良いのだろうか。
私は自己肯定感が低い方だと思う。そのせいか何かと自己否定してしまうことが多い。例えば、仕事でミスをすれば「なんであんなことをしたんだろう。同僚からも馬鹿な奴だと思われる。こんな自分はダメだ」と思うし、子どもの弁当に箸を入れ忘れると「子どもに悪いことをした。お弁当を食べられないかもしれない。お箸を入れることを忘れるなんて母親失格じゃないか。自分はなんてダメなんだろう」と考える。
一旦自己否定モードに突入すると、同じ考えが頭の中を渦巻き建設的な考えや前向きな考えができない。とても疲れるし、ストレスもたまる。
そこで、一念発起して自己肯定感を高めるために精神科医がオススメしていた「寝る前にその日にあった良いこと3つを書く」というものに取り組んでみた。書くだけなら簡単だろうと思ったからだ。
始めのうちは、「今日は仕事がサクサクと進んだ」「新人ナースの指導が上手くいった」「帰りの電車で座れた」などと書くことも色々とあったが、そう毎日良いことが続くわけもなく、次第に書くことが思いつかなくなってきた。そうするうちに「今日もお弁当が美味しかった」「スーパーでお肉が安かった」「イチゴを食べた」など食べることばかり書いたり、「天気が良かった」「夕立でも傘を持っていた」「今日の寒さはマシだった」など天気のことばかりになっていき、今日も書くことがない、私にはいいことがない、私なんてダメだとなって、やっぱり自己否定につながってしまった。
自分のダメなところは自己否定してしまい、ダメな自分をありのままに受け入れることができない私には、この方法は向かなかったようである。
そもそも自己肯定感を紐解くと自分自身に対する解釈に過ぎない。客観的な事実ではなく、事実に自分の解釈が加わった物事に対する捉え方、と言える。
であれば、自己肯定感を高めるためにはその解釈を変えていかなければならない。
ダメな自分を受け入れられない人間が、どうやってダメな自分をありのまま受け入れる解釈を作っていけば良いのだろう。
自己啓発本を何冊か読んでみると、小さな成功体験を積み重ねることや他人と比べずに昨日の自分と比べてみることなど、自己肯定感を高めるための方法は色々とあるようだ。
しかし私は、小さな成功体験を積み重ねたところで「こんなこともできる自分はすごい」と思うことはできず、こんなことはできて当たり前、ダメな自分はダメだと思うし、人と比べることはやめられない。
その上、自己肯定感は幼少期からの親との関わりが大きく関係しているらしい。今更どうしようもないところに原因を見つけたとしても子ども時代には戻れない。常に人と比較されて育っているのだから、それが習慣となっていても仕方がない。
SNSを見ることを減らしても、本を読んだり人と話したりしても、自分と誰かを比べてしまうのだ。
私は、自己肯定感を高めようとすればするほど、ダメな自分を見つけてしまい、自己否定へと繋がっていく。それならば、自己肯定感を高めようとするのを辞めたほうが良さそうだ。
目の前の出来事について、事実と解釈とに分けるだけで良いのじゃないかと思う。
自分はダメかもしれないけど、「何とかなってるからダメじゃないやん」ぐらいに考えるほうが生きやすいように感じる。
ツイッターで流れてきた「今日も会社に行けなかった。まぁいいか、生きてるし」ぐらいの感覚で良いのだろう。
それに自己肯定感を高めるぐらいなら基礎体温を高めた方が、ずっと健康になる。自己肯定感を高めようとしてストレスが溜まれば免疫力は下がるが、基礎体温を1℃上げれば免疫力は5倍も上がるのだ。
暖かい湯船につかり生姜湯を飲んで、ぐっすりと眠ることの方がストレス社会の中で生きていけそうだ。